大内義弘(おおうち よしひろ)は、南北朝時代から室町時代の武将・守護大名で、周防・長門・石見・豊前・和泉・紀伊の6か国の守護を務めました。室町幕府に従い、明徳の乱などで多くの功績を立てた名将です。しかし功を立てすぎたことから足利義満に危険視され対立。追い込まれた大内義弘は応永の乱を起こしましたが、敗死しました。
ざっくり用語解説
大内義弘
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