現在の大阪府大阪市中央区にあたる地域に都が移されました。
645年の乙巳の変ののち、孝徳天皇は難波に遷都し、宮殿は652年に完成しました。その後、中大兄皇子らが飛鳥に戻ったあとはさびれてしまいますが、683年に天武天皇によって飛鳥と難波の両方が都(複都)とされました。しかし、686年に火災で全焼。またしばらくほったらかしにされますが、726年に聖武天皇によって難波の地に難波京が造営されて、奈良の平城京の副都とされました。
794年に平安京に移転すると、難波京は完全に忘れされていってしまい、第二次世界大戦が終わるまで、その所在地が不明なままとなったのでした。