旅順(りょじゅん)は、遼東半島の最西部(突端部)にあり、天然の良港として知られ、旅順軍港を有する軍港都市として栄えました。
日清戦争の講和条約である下関条約によって、旅順を含む遼東半島は日本に割譲されることに一旦決まりましたが、三国干渉の結果、中止となりました。その一方で、日清戦争後に列強各国が弱体化した清に軍事的圧力をかけ租借地を切り取る動きが盛んになる中、ロシアも1897年12月に旅順・大連に上陸して占領し、翌1898年に旅順・大連租借に関する露清条約を締結して旅順口はロシア帝国の租借地となりました。そのため、旅順はロシア海軍の太平洋艦隊の根拠地になります。
日露戦争においては、日本軍によって旅順攻囲戦が起こり、市郊外の丘陵である203高地などでの激戦の末、最終的に日本軍が莫大な損害の後に勝利したことにより、1905年1月に旅順を占領。日露戦争の講和条約であるポーツマス条約において、清に対する租借権を正式にロシアから引き継ぎ、日本は、この旅順にはじめ関東都督府を置きました。