足利義視(あしかがよしみ)は、第6代将軍足利義政の十男で、第7代将軍義勝・第8代将軍義政の異母弟です。息子に第10代将軍となった足利義稙がいます。
元々、十男坊だし、庶子だしってことで1443年には出家して、僧侶の道を歩んでいましたが、男子に恵まれなかった兄・義政に請われて1464年に僧侶から還俗しました。そして、正妻に兄・義政の正妻・日野富子の同母妹である日野良子を迎えました。そしたら、翌1465年に兄・義政とその正妻・富子の間に男子が生まれてしまいました。この二人の将軍後継者争いに、畠山家・斯波家の家督相続問題、室町幕府の有力守護大名の勢力争いが複雑に絡み合って、応仁の乱が勃発しました。