足利義政(あしかがよしまさ)は、室町幕府第8代征夷大将軍です。父は、第6代将軍・足利義教で、第7代将軍・足利義勝の同母弟にあたります。父・義教が嘉吉の変で殺害され、後を継いだ兄も夭折したことにともない、幼くして征夷大将軍に就任します。成長後は近習や近臣とともに親政に取り組みましたが、低下した幕府権威の下では、有力守護の圧力に抗することはできませんでした。自身の後継者争いをきっかけとして、守護大名の対立が激化。やがて応仁の乱を引き起こすことになってしまいました。政治家としてはかなり凡庸な部類でしたが、その一方で文化人としては、銀閣寺に代表される東山文化を築くなど、非凡な才能を見せて、今の日本文化に繋がる功績を残していると評価されています。