張作霖(ちょう さくりん、チャン・ツォリン)は、馬賊出身の北洋軍閥の流れを汲む奉天派の総帥です。東北三省(満州)の統治者で、張学良のパパ。辛亥革命後にはたびたび北京進出を狙い、1924年には北京の実権を握りました。1928年に蒋介石の北伐軍が近づくと汽車で北京を脱出。1928年6月4日に奉天に戻る途中で日本の関東軍によって殺害されました。関東軍は張作霖を排除することによって満州の支配を狙いましたが、張作霖の息子である張学良が奉天軍閥を継承し、国民政府側(蒋介石側)についてしまいました。
大正デモクラシー|国際協調の理想と挫折第一次世界大戦の終結をきっかけに、日本は国際社会での存在感を強めていきました。 \ 国際協調と民主主義の理想を掲げ、政治や外交の面で大きな転換期を迎えます。 国際連盟への加盟と、協調外交の推進 政党内閣の成立と「憲政の常道」 普通選挙法の制定による選挙権の拡大 ワシントン体制下での軍縮と平和への期待 一方で、経済の混乱や社会不安がその理想を揺さぶり、国際情勢の変化とともに協調路線は行き詰まっていきます。 \ 激動の時代、大正デモクラシーの光と影を、ラジレキが独自解説します。 13.第一次世界大戦 #32