大友義鎮(おおとも よししげ/そうりん)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての九州の戦国大名で、明・琉球・ポルトガルなどとの貿易で経済力を高め、優秀な家臣にも恵まれて最盛期には九州6か国を支配しました。しかし、薩摩の島津氏が日向(宮崎県)へ侵攻してきた際に迎え撃った1578年の耳川の戦いで大敗してしまい、以降衰退していってしまいます。晩年には豊臣秀吉傘下の一大名となりました。大友宗麟は、キリシタン大名としても有名で、洗礼名は、ドン・フランシスコです。
ざっくり用語解説
大友義鎮(宗麟)
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