荻生徂徠(おぎゅうそらい)は、江戸時代中期の儒学者で、朱子学や伊藤仁斎の仁斎学を批判して、儒教の祖である孔子・孟子が生きた時代の漢字の用法などに基づいてしっかりと論語などの儒教の経典を解釈すべきだと主張して「古文辞学」を標榜しました。
江戸に生まれて、幼少期から学問に優れていたと伝わっていて、5代将軍綱吉の側近、柳沢吉保(よしやす)に見出され、政治上の諮問にも応えて将軍・綱吉とも面識がありました。1709年に綱吉死去、吉保失脚後は、茅場町に私塾を開きましたが、1722年以後は8代将軍・吉宗の信任を得て、また政治に参与するようになりました。
荻生徂徠の有名な政治上の見解としては、「忠臣蔵事件」における赤穂浪士に対する評価・処罰があります。徂徠は「赤穂浪士は義士でも何でもない、そもそも浅野内匠頭が殿中で刃傷沙汰に及んだのは、単なる不義行為であり、その不義行為を引き継いで討ち入りをした赤穂浪士は主君の邪志を継いだだけで、義なんかじゃねーよ。世間は深く考えずになんであんなやつらを忠臣だと言って称えてんだよ。切腹という名誉ある刑罰ではなく、斬首でええやろ」としていましたが、まあ結果、世論に流されて名誉ある切腹を赤穂浪士は与えられ、この討ち入り事件は「忠臣蔵」というお話になり、彼らは「赤穂義士」と呼ばれるようになったのでした。
皆さんは、荻生徂徠の意見、どう感じますか?