西原借款(にしはらしゃっかん)は、当時の中華民国北京政府の段祺瑞政権に対して、日本がおこなった借款です。交渉に当たったのが寺内正毅首相の側近西原亀三であったことからこの名がつきました。 日本興業銀行・朝鮮銀行・台湾銀行が資金を拠出。1917年1月に決まった500万円の交通銀行借款を手始めに、その後1918年にかけて実施され、総計1億4500万円にのぼりました。また、3208万円の武器供与も行なわれました。
大正デモクラシー|国際協調の理想と挫折第一次世界大戦の終結をきっかけに、日本は国際社会での存在感を強めていきました。 \ 国際協調と民主主義の理想を掲げ、政治や外交の面で大きな転換期を迎えます。 国際連盟への加盟と、協調外交の推進 政党内閣の成立と「憲政の常道」 普通選挙法の制定による選挙権の拡大 ワシントン体制下での軍縮と平和への期待 一方で、経済の混乱や社会不安がその理想を揺さぶり、国際情勢の変化とともに協調路線は行き詰まっていきます。 \ 激動の時代、大正デモクラシーの光と影を、ラジレキが独自解説します。 13.第一次世界大戦 #32