寺内正毅(てらうち まさたけ)は、明治・大正期の陸軍軍人、政治家です。
陸軍大臣(第7代)、外務大臣臨時兼任(第2次桂内閣・寺内内閣)、韓国統監(第3代)、朝鮮総督(初代)、内閣総理大臣(第18代)、大蔵大臣(第19代)などを歴任しました。
韓国統監に就任し、日本への併合を推し進めたことで有名。1916年に内地に帰還すると、寺内内閣を発足させ、内閣総理大臣を務めるとともに、外務大臣や大蔵大臣といった国務大臣を兼任しました。その風貌がビリケン人形にそっくりなことと、「非立憲(ひりっけん)」をかけて「ビリケン宰相」の異名を持ちます。1918年8月にシベリア出兵を宣言しましたが、米騒動の責任をとって9月に総辞職しました。