徳川家茂(とくがわ いえもち)は、江戸幕府第14代将軍(在任:1858年 - 1866年)。初めは第12代将軍・徳川家慶の偏諱を受け、慶福(よしとみ)と名乗っていました。実父・徳川斉順は家慶の異母弟で、家茂は第13代将軍・家定の従弟にあたります。将軍就任の前は御三家和歌山藩第13代藩主でした。血筋が13代・家定に近いということで、大老で譜代筆頭の彦根藩主井伊直弼ら南紀派の支持を受けて13歳で第14代将軍となりました。
文久2年(1862年)に公武合体の政策の一環で、孝明天皇の妹である和宮と結婚。文久3年(1863年)には、3千人を率いて将軍としては229年振りとなる上洛を行いました。
慶応2年(1866年)、第2次長州征伐の途上、家茂は大坂城で病に倒れて、享年21(満20歳)で没しました。家茂は死に際して徳川宗家の後継者・次期将軍として田安亀之助(後の宗家第16代当主徳川家達)の指名を遺言としましたが、亀之助が当時わずか4歳であり国事多難の折りの舵取りが問題という理由で和宮や雄藩大名らが反対した結果として実現されず、徳川慶喜が第15代将軍となりました。