法然(ほうねん)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の僧侶。はじめ比叡山で天台宗の教学を学び、1175年から、専ら阿弥陀仏の誓いを信じ「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、死後は平等に往生できるという専修念仏の教えを説きました。のちに浄土宗の開祖と仰がれます。弟子に浄土真宗の親鸞がいます。
京都でかなり信者が増えますが、法然の教えを曲解し、「南無阿弥陀仏といえば何してもいいんだ!」的なやからも出てきたことを捉えて、旧仏教の比叡山から専修念仏の停止を訴えられてしまいます。最終的に1207年に後鳥羽上皇によって念仏停止の判断が下され、法然は京都追放(流罪)・強制還俗(僧侶をやめて俗世の一般人に戻ること)に処せられますが、大貴族からの尊崇も集めていたため、10ヶ月くらいで赦免。流刑先から京都に戻るまで各地に布教の足跡を残しながら、1211年に京都に帰りましたが、翌1212年に享年80歳で没しました。