東山文化(ひがしやまぶんか)は、室町時代中期の文化を指す用語。8代将軍足利義政が築いた京都の東山山荘(銀閣)を中心に、武家、公家、禅僧らの文化が融合して生まれました。応仁の乱(1467年)以降、戦乱に明け暮れる世の中になってしまいましたが、その一方で、能、茶道、華道、庭園、建築、連歌など多様な芸術が花開いた時代ともなりました。これらの文芸は次第に庶民にも浸透。今日まで続く日本的な文化を数多く生み出すこととなりました。また、京都が戦火に見舞われたことで多くの文化人・知識人が地方の守護大名のもとへ身を寄せたため、文化の地方伝播が進行した時代でもありました。貴族的・華麗・派手な、金閣に代表される3代足利義満の北山文化に対して、東山文化は幽玄、わび・さびに通じる美意識に支えられていると評されます。