桑名藩(くわなはん)は、江戸時代に伊勢国桑名に存在した藩で、藩庁は桑名城(現在の三重県桑名市)です。幕末には、美濃高須藩松平家から松平定敬が婿養子として藩主に就任しました。この定敬は会津藩主・松平容保の実弟にあたり、会津藩・松平容保が京都守護職に就任していたことから、1864年に京都所司代に任命され、定敬は容保と兄弟のコンビで京都の治安と西国の監視監督を務めました。池田屋事件や禁門の変はこの兄弟の時代に起こっています。
この会津藩・桑名藩と、一橋家当主・徳川慶喜とが協調して政治を進めていたことを、一会桑政権(いっかいそうせいけん)と呼び、孝明天皇からの信任を背景として江戸の幕閣からも独立して権力を行使しました。ただ、それだけに長州藩はもとより薩摩藩からも打倒目標とみなされるようになりました。