池田屋事件(いけだやじけん)は、幕末の元治元年6月5日(1864年7月8日)に、京都三条木屋町(三条小橋)の旅籠・池田屋に潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を、京都守護職配下の治安維持組織である新選組が襲撃した事件です。尊王攘夷派の志士たちによる「御所焼き討ち計画」を未然に防ぐことに成功した新選組の名が天下に轟いた事件です。
逆に尊攘派は、吉田稔麿(久坂玄瑞、高杉晋作とともに吉田松陰の門下生の「三秀」と呼ばれた人物)などの逸材が戦死し、大打撃を受けました。長州藩は、この事件をきっかけに激高した強硬派に引きずられる形で挙兵・上洛し、7月19日(旧暦)に禁門の変を引き起こしました。