藤原成親(ふじわら の なりちか)は、平安時代末期の公卿。いちおう藤原北家の系統ですが、傍流です。父が、鳥羽法皇に寵愛されたことから、成親もスピード出世を果たします。鳥羽法皇の葬儀では、成親は信西とともに入棺役を務めました。その後、後白河にも寵愛されますが、成親の妹が藤原信頼に嫁いでいたことから、平治の乱では信頼方に参戦します。乱後、信頼は刑死しましたが、成親の別の妹が平重盛(清盛の嫡男)の妻であったことから、特別に助命されました。その後、後白河によって徐々に復権を遂げていき、権大納言まで昇進しました。後白河法皇と平家の対立が顕在化すると、鹿ケ谷の陰謀に加担したとのことで、1177年に流罪となり、同年同地で死去。どうやら流刑地で食事を与えられずに殺害されたといわれています。
ざっくり用語解説
藤原成親
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