前田綱紀(まえだ つなのり)は、加賀藩4代藩主です。母は、徳川光圀の異母妹なので、光圀の甥っ子ですね。そして、前田綱紀自身は、保科正之(徳川家光の異母弟)の娘と結婚しました。徳川家とめっちゃ親戚だったわけです。まあ、この時代は政略結婚の時代ですから、有力大名の奥さんとして徳川家の姫が嫁ぐというのはよくある話ですけども。
この、前田綱紀も藩の統治に気を配り、学問を奨励し、保科正之、徳川光圀、池田光政らと並んで、江戸時代前期の名君の一人として讃えられています。
その一方で、加賀百万石という最大規模の大きい藩である加賀藩が蓄財をしすぎると、幕府転覆を画策しているのではないかと幕府から警戒されるおそれがありました。そのため、綱紀は、資金に余裕がある時は散財をして「武力に使うお金なんてないですよー」という姿勢を見せるのですが、その散財の結果、豪奢な調度品を仕入れ、建物の改築に財産を蕩尽し、金沢の文化が大いに発展したのでした。現代においても、「加賀百万石のお膝元金沢の町」と聞けば、金粉とか派手・豪華な印象があると思いますが、それはこういった背景があったのですね。