徳川光圀(とくがわみつくに)は、家康の孫で、水戸藩の第2代藩主です。後世の創作による脚色も含めて「この御方をどなたと心得る!天下の副将軍、水戸光圀公であらせられるぞ!」で有名な水戸黄門様のモデルになった人ですね。儒学を奨励して、明治まで編纂に時間を費やした『大日本史』事業をスタートさせました。この大日本史編纂にあたって、部下を全国に派遣したことから、水戸黄門様の全国行脚で世直しみたいな話が生まれたんでしょうかね。なお、実在の光圀公は、江戸と水戸・房総半島以外で訪れたことがあるのは、日光・鎌倉、一番遠出で熱海くらいだそうです。
この人の家系もちょっとややこしいことになっていて、実は光圀は次男坊で兄貴がいたんです。「でも光圀が後継者となったってことは、光圀は正妻の子どもとか?」と思われるかもですが、この二人の兄弟は同母兄弟なんですね。えっ、じゃあなんで順番逆やん!なんですけど、なんで、こんなことになったかというと、兄貴が生まれたときには、父ちゃんはまだ正妻を迎えていなくて、これから正妻を迎えて子どもが出来たら、年上の兄貴がいると家中が揉める可能性があるということで、早々と兄貴の方は「庶子」の届出を出したんですね。将来、正妻との間の子を「嫡子」にするためですね。
次に光圀が出来るんですが、その話をきいた父ちゃんは「水に流せ」となんと堕胎を命じたわけです。兄貴がおるから、もう庶子もいらんしってことですかね。ただ、お母ちゃんはその命令を無視してひっそりと光圀を産んだわけです。で、結局父ちゃんは正妻を迎えなかったんですね。その結果、なんと兄貴は「庶子」ってもう届出しちゃったんで、残っている子どもはコッソリ生まれた光圀だけとなり、その光圀を「世子(せいし)」という自分の後継者に指名して、届出したんです。
成長した光圀はこのあたりの経緯を知って憤慨するわけです。自分は生まれてこなかったはずなのか、そしてホントなら兄貴が水戸藩の2代目のはずだったのに。自分は運命のいたずらで天下の御三家の一つ水戸藩の後継者となってそれを継承することになる。一方、兄貴は徳川すら名乗れずに「松平頼重」という名前になって、領地も高松藩12万石という格下に甘んじている。
こんな不正義・不公正な事態がまかり通るなんておかしい!光圀は、自分が水戸藩28万石の2代目藩主となった際にある行動にでます。それはなんと、兄貴の高松藩主・松平頼重の長男を自分の養子に、そして自分の長男を兄貴の養子にして、血統のスワップをしよう。そうすることによって、自分たちの世代で生じたねじれを子どもたちの世代で是正しようというものです。兄貴の長男は若死にしましたが、その後兄貴の次男が、水戸藩の三代目藩主となり、光圀の長男は、高松藩の藩主となったのでした。
正義が成就した瞬間だったのでしょう。こういう話をきくと、まんざらフィクションの水戸黄門様のイメージと現実の徳川光圀公は大きな差はないのかもしれませんね。