古河公方(こがくぼう)は、室町時代後期から戦国時代にかけて、下総国古河(茨城県古河市)を本拠とした関東足利氏のことです。第4代鎌倉公方であった足利持氏とその遺児らが、6代将軍・足利義教との対立から、永享の乱・結城合戦で滅亡させられましたが、義教死去後に、生き残った持氏の遺児が、1447年に第5代鎌倉公方(足利成氏)となりました。鎌倉を拠点としていましたが、関東の諸大名たちの勢力争いから、1455年に足利成氏は鎌倉から古河へと本拠を移すことを余儀なくされてしまいます。本人としては、引き続き鎌倉公方のつもりですが、それまでとはやはり違うということで、古河公方と言われるようになりました。
古河移転後、後北条氏などの圧迫をうけながらもなんとか戦国時代を生き抜けましたが、1583年に最後の古河公方である足利義氏が男子を残さず没すると、そのまま古河公方は自然消滅しました。