永享の乱は、1438年に勃発した、室町6代将軍足利義教が4代鎌倉公方足利持氏を滅ぼした戦い。これによって、持氏とその嫡子義久は翌1439年に自害に追い込まれました。この永享の乱で鎌倉公方は滅亡しますが、持氏の遺児何名かは難を逃れ、1440年に結城氏朝が持氏の遺児を奉じて結城合戦(ゆうきかっせん)を起こして、室町幕府に抵抗しますが、こちらも1441年に室町幕府の勝利で終結。持氏の遺児たちは処刑されたり、出家させられたりしました。この一連の戦いによって、鎌倉公方の勢力は滅び、関東への室町幕府の支配力が高まってのでした。