由比正雪(ゆい しょうせつ)は、江戸時代前期の日本の軍学者。由井正雪の乱(慶安の変)の首謀者です。慶安4年(1651年)、江戸幕府第3代将軍徳川家光の死を契機として、幕府政策への批判と浪人の救済を掲げ、各地で浪人を集めて挙兵し、幕府転覆を計画しました。しかし、決起の寸前になって計画の存在を密告され、正雪は駿府の宿において町奉行の捕り方に囲まれ自刃して果てました。享年47。遺体は幕府によって磔にされ、正雪の近親も皆殺しとなりました。江戸時代を通じて極悪人とされましたが、由井正雪の乱は、大名取り潰しによる浪人の増加が社会不安に結びついていることが事件の背景にあるとして、4代将軍徳川家綱以降の政治が武断政策から文治政策へ転換するきっかけの一つとなったのです。