ラジレキ

要点から背景まで、流れでおさえる日本史の全体像

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井上馨

井上馨(いのうえ かおる)は、幕末の長州藩士で、明治の政治家です。明治12年(1879年)に寺島宗則のあとを受けて、外務卿に就任しました。明治14年(1881年)に大隈重信と伊藤が国家構想をめぐり対立したときは、伊藤と協力して大隈を政界から追放(明治十四年の政変)。この後も朝鮮との外交に対処、翌明治15年(1882年)で壬午事変が起こると朝鮮と済物浦条約を締結して戦争を回避、また条約改正の観点から欧化政策を推進して鹿鳴館と帝国ホテル建設に尽力しました。

明治16年(1883年)に鹿鳴館が完成すると、諸外国と不平等条約改正交渉にあたり、明治17年(1884年)12月の甲申事変で朝鮮宗主国の清が介入すると渡海。翌18年(1885年)1月に朝鮮と漢城条約を締結して危機を脱しました(さらに同年4月に伊藤が清と天津条約を締結)。明治18年(1885年)、伊藤が内閣総理大臣に就任して第1次伊藤内閣が誕生すると、井上は外務卿に代わるポストとして外務大臣に就任して、引き続き条約改正に専念しました。

しかし、領事裁判権の撤廃に向けて、明治20年(1887年)に「裁判に外国人判事を任用する」などの改正案を検討していたところ、その内容が国内に広まり、反対運動が巻き起こりました。閣僚からも反対の声があがり、7月に改正交渉延期を発表、9月に外務大臣を辞任しました。

その後も、黒田内閣では農商務大臣を務め、第2次伊藤内閣では内務大臣、第3次伊藤内閣では大蔵大臣など要職を歴任し、元老の一人として政財界に多大な影響を与えました。

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