寺島宗則(てらしま むねのり)は、幕末の薩摩藩士で、明治の外交官、政治家。「日本の電気通信の父」とも呼ばれています。明治6年(1873年)、参議兼外務卿となり、政府の財政難から関税自主権回復を目指して、諸外国との条約改正に臨み、アメリカとの交渉は良好に進みましたがイギリスの反対などもあって挫折。明治12年(1879年)に外務卿を辞職。その後、文部卿、元老院議長、在アメリカ日本公使、枢密顧問官、枢密院副議長などを歴任しました。
ざっくり用語解説
寺島宗則(てらしま むねのり)は、幕末の薩摩藩士で、明治の外交官、政治家。「日本の電気通信の父」とも呼ばれています。明治6年(1873年)、参議兼外務卿となり、政府の財政難から関税自主権回復を目指して、諸外国との条約改正に臨み、アメリカとの交渉は良好に進みましたがイギリスの反対などもあって挫折。明治12年(1879年)に外務卿を辞職。その後、文部卿、元老院議長、在アメリカ日本公使、枢密顧問官、枢密院副議長などを歴任しました。