北条時行(ほうじょう ときゆき/ときつら)は、鎌倉幕府最後の得宗・北条高時の遺児。北条氏復興のため、鎌倉幕府の残党を糾合して1335年に中先代の乱を引き起こし、鎌倉を奪還しました。しかし、わずか20日で尊氏に逐われてしまいます。その後は、南北朝の内乱で、後醍醐天皇から朝敵を赦免されて南朝方の武将として、足利氏と戦います。何度か鎌倉を奪還しますが、1353年に足利方に捕らえられ、鎌倉龍ノ口(神奈川県藤沢市龍口)で処刑されました。
ざっくり用語解説
北条時行
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