北条高時(ほうじょう たかとき)は、鎌倉時代末期の北条得宗家の当主。鎌倉幕府第14代執権(在職:1316年-1326年)。第9代執権・北条貞時(時宗の嫡男)の嫡男。父が9歳で死去したため、中継ぎ執権を経て、14代執権となります。その後、執権職を辞したあとも得宗家の当主として、鎌倉幕府の実権を握り続けます。1333年、後醍醐天皇について新田義貞軍が鎌倉に乱入すると、鎌倉・東勝寺で北条一族や家臣らとともに自刃。
ざっくり用語解説
北条高時
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