士農工商(しのうこうしょう)とは、江戸時代の職能に基づく身分制のことです。 社会を構成した主要な身分である武士・農民・職人・商人を意味し、これらは総称して「四民」(しみん)と呼ばれます。 四民以外にも、武士に準ずる身分として公家(くげ:朝廷に仕える貴族)や僧侶、神官などがありました。また、四民の外として、賤民身分(かわた・ひにん)があるなど、士農工商だけでは江戸時代の身分は表現しきれないのですが、「武士が一番えらい、お米を作ってくれてる農民が二番目にエライ!」という思想を表していますね。何も生み出さずに、商品を右から左に動かしているだけと考えられた商人・商業が最下層という点がポイント。「石高」という風に農業生産力で大名の力をはかる時代だったので、農本主義だったのです。その結果、商業に力をいれて社会・経済を動かすという変革・改革が遅れてしまうことになったのです。朝鮮出兵という対外戦争してまで、自由貿易を追い求めた豊臣秀吉の時代とは大違いなのが、よくわかります。
ざっくり用語解説
士農工商
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