北方領土問題は未解決のまま残ってしまい、鳩山一郎が主導した日ソ共同宣言は批判されることがありますが、当時喫緊の課題として、ソ連によるシベリア抑留者の帰国問題やオホーツク海の漁業権問題があり、それらの解決のために急がれたという側面があります。