青木昆陽(あおき こんよう)は、江戸時代中期の人で、儒学者、蘭学者の面を持っていますが、何よりも有名なのは、サツマイモの普及を図った「甘藷先生」という異名でしょう。
京都の儒学者である伊藤東涯の古義堂に入門して儒学を学び、享保18年(1733年)に江戸南町奉行・大岡忠相に取り立てられて、幕府書物の閲覧を許されるようになりました。昆陽は京都で学んでいた頃に書物によって甘藷(サツマイモ)が救荒作物として重要であることを知ったとされ、江戸幕府8代将軍・徳川吉宗に上書して「サツマイモで飢饉から民を守るんじゃ!」と主張したところ、これが認められました。最終的には、元文元年(1736年)には薩摩芋御用掛を拝命し、身分が幕臣(御家人でしたけど)となったのです。