ラジレキ

要点から背景まで、流れでおさえる日本史の全体像

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  • 日本の夜明け
  • 大和王権と古墳文化
  • 古代国家の成立
  • 権力闘争と貴族の時代
  • 武士階級の台頭
  • 武家社会の動揺
  • 動乱の戦国時代
  • 幕藩体制の始まり
  • 発展する経済・文化
  • 揺らぎ始める幕藩体制
  • 明治維新と近代国家の形成
  • 脱亜入欧、日清・日露戦争
  • 第一次世界大戦
  • 第二次世界大戦
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賤ヶ岳の戦い

賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)は、天正11年(1583年)4月、近江国伊香郡(現:滋賀県長浜市)の賤ヶ岳付近で起きた羽柴秀吉と柴田勝家の戦いです。本能寺の変で織田信長とその嫡男・信忠の二人が死去したのち、天下の大半を抑えていた織田家は、誰が主導権を握るのかで、せめぎ合いがありました。いったんは清州会議という会議で、信長の嫡孫、信忠の息子である三法師(さんぽうし)を後継者にすることが決定、まだ幼いため、叔父である織田信雄・信孝に加え、織田家重臣たちによって運営されることが決まりました。しかし、その中で、羽柴秀吉と柴田勝家の対立が鮮明化していきます。結果、両者はこの戦いで激突し、勝利した秀吉が亡き織田信長が築き上げた権力と体制を継承し天下人への第一歩がひらかれたのでした。

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