「南北朝の合一」や「明徳の和約」とも呼ばれます。1392年に南朝と北朝(室町幕府)との間で、和議と皇位継承について合一することがきまりました。この時決められたことは以下4点です。
①南朝の後亀山天皇から北朝の後小松天皇への神器の引渡し。
②皇位は両統迭立とする。
③国衙領を大覚寺統の領地とする。
④長講堂領を持明院統の領地とする。
しかし、北朝方は、②の両統迭立を反故にしました。また③の国衙領も北朝の皇族・公家が実質私有化を進めていたため、実際に保有できた部分は僅かであったと考えられています。完全に空手形となったわけですね。そのため、反発した南朝の後胤や遺臣らは、朝廷や幕府に対する反抗を15世紀後期まで続けました。これを後南朝といいます。戦乱は簡単には終わらなかったわけですね。