両統迭立(りょうとうてつりつ)は、一国の世襲君主の家系が2つに分裂し、それぞれの家系から交互に君主を即位させている状態のことを指します。「迭」は「たがいに」「かわるがわる」の意。
日本の歴史用語としては、鎌倉時代後期に持明院統と大覚寺統が交互に皇位継承をしていった時期のことを特に指して、両統迭立といいます。それぞれが「俺が天皇だ!」と主張するようになってからは、南北朝に分裂してしまいました。
ざっくり用語解説
両統迭立(りょうとうてつりつ)は、一国の世襲君主の家系が2つに分裂し、それぞれの家系から交互に君主を即位させている状態のことを指します。「迭」は「たがいに」「かわるがわる」の意。
日本の歴史用語としては、鎌倉時代後期に持明院統と大覚寺統が交互に皇位継承をしていった時期のことを特に指して、両統迭立といいます。それぞれが「俺が天皇だ!」と主張するようになってからは、南北朝に分裂してしまいました。
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