星亨(ほし とおる)は、明治期の政治家です。渡英して法廷弁護士(バリスタ)資格を取得、日本でも代言人(後の弁護士)となりました。1882年(明治15年)、自由党に入党し、政府批判の論客となりました。そのため、官吏侮辱罪などで2回入獄。1887年(明治20年)には在野各党の大同団結運動を推進します。
1892年(明治25年)、第2回総選挙に当選し、衆議院議長を務めました。1898年(明治31年)に憲政党内閣(隈板内閣)が誕生すると憲政党を分裂させ、1900年(明治33年)に伊藤博文とともに立憲政友会を結党します。同年の第4次伊藤内閣で逓信相として初入閣しましたが、汚職事件の中心人物と目され辞職。1901年(明治34年)、伊庭想太郎に刺殺されました。