隈板内閣(わいはんないかく)とは、1898年(明治31年)6月から11月までの第1次大隈重信内閣の俗称です。大隈が総理大臣と外務大臣を兼ね、板垣退助が内務大臣に就任。自由民権運動の両巨頭が合同して内閣を組閣したことから隈板内閣と呼ばれました。日清戦争後、藩閥政府攻撃が高まり、自由・進歩両党が合併して憲政党をつくり、第三次伊藤博文内閣を倒して成立しました。政党内閣の先駆でしたが、分裂により短命に終わりました。
日清・日露・第一次世界大戦|戦争による経済成長と社会問題日本は日清戦争から戦争を通じて経済や産業を大きく成長させてきました。一方で産業の成長に伴って公害や労働問題などの社会問題も顕在化していきます。 日清戦争の勝利と三国干渉、その後の日露戦争 第一次世界大戦による日本の国際的影響力の高まり 戦争による経済・産業の成長と社会問題 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。 12.脱亜入欧、日清・日露戦争 #31