こちらは実際、大航海時代以降、海外進出を進めていたスペインやポルトガルは次々に領土を拡大していきました。ヨーロッパ視点で発見されたアメリカ大陸にあったアステカ帝国・インカ帝国はスペインによって滅亡させられ、スペイン総督や副王によって統治される植民地となり、ポルトガルもブラジルやアフリカ沿岸、インド沿岸などに植民地を築いていました。その後、スペイン・ポルトガル以外のヨーロッパ諸国も世界各地へと植民地を広げていったのです。日本も九州の一部が、イエズス会やキリスト教会に寄進されている事情などもあり、豊臣秀吉は大きな衝撃を受けたといいます。この流れから考えると、日本がキリスト教を禁止し、のちに鎖国と呼ばれる体制へと繋がっていくのも、当時の情勢としてはやむを得ないことだったのかなと思います。
ざっくり用語解説
スペインやポルトガルがキリスト教の布教を通じて植民地化を進めている
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