畠山義就(はたけやま よしなり)は、室町時代後期から戦国時代初期の武将、守護大名です。畠山政長と畠山家の相続問題で激しく対立。この対立が応仁の乱勃発のきっかけの一つとなりました。義就は、戦場で部類の強さを発揮し、畠山家の領地を実効支配しました。政長が幕府権力を使って、名目上の守護となっても、幕府による義就追討令がでても、それらを払いのけて実効支配を確立しました。ただし、山城国に関しては、双方の激しい争い、膠着状態となったため、業を煮やした国人層によって山城の国一揆がおきて、義就・政長両派が撤退を余儀なくされました。1491年に病死。