開国の際にも、幕府は朝廷に報告する必要がないなか報告をしました。その後、あらためて朝幕関係においては「大政委任論」が確認され、政治の大権については朝廷から幕府に委任されているとされていました。そのため、朝廷に通商開始にあたっての許可なんて求める必要はありませんが、世論が分断されている中、幕府は朝廷を政治利用して「ほら!朝廷だってOKだって言ってんだよ。文句いうな!」とやろうとしたわけですが、これに失敗してしまい、余計に幕府の権威が失墜するということになり、主導した堀田正睦は政治生命が断たれる状況に追い込まれてしまいました。その後、「だから言わんこっちゃない!」とばかりにゴリゴリの幕府原理主義者である大老・井伊直弼が出てきて、勅許のないまま(本来必要はないんですが、一度求めておいて無視するってのは印象悪いですよね)通商開始を決め、批判者たちには「安政の大獄」をお見舞いする、反動ムーブメントが起きるわけです。
ざっくり用語解説
朝廷に条約調印の勅許をもとめた。朝廷は条約調印に反対
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