薩南学派(さつなんがくは)は、桂庵玄樹を始祖とする室町時代後期から江戸時代前期にかけて薩摩国を中心に栄えた儒学の一派のことです。桂庵玄樹が島津氏の招聘を受けて鹿児島に入り、島津氏の一族や家臣に朱子学を講学したことから形成されました。江戸時代に入ると江戸幕府に保護を受けていた林家に押され、18世紀に入ると江戸に出て荻生徂徠や室鳩巣の門下となった薩摩藩の人たちが逆に薩摩で彼らの学説を広めるようになり、薩南学派は衰退してしまいました。
足利義政と長期化する応仁の乱足利義満の死後、足利義持は父である足利義満に反発した政策をとりますが、大名の統率が取れずに土一揆も勃発するなど、治世が乱れ始めます。 足利義持の政治と大名たちの台頭 くじ引き将軍足利義教の恐怖政治と終焉 家督相続が複雑に絡み長期化する応仁の乱 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。 ## 波乱を呼んだ「相続争い」と土一揆の勃発 室町幕府第3代将軍「足利義満」は、南北朝の合一を果たし、長く続いた南北朝時代を終わらせました。 義満の死後、後継者の地位をめぐる争いや、社会不安の拡大により、民衆による一揆・蜂起が頻発し、世の中は混乱へと向かっていきます。 07.動乱の戦国時代 #19