第62代天皇。在位946年‐967年。第60代醍醐天皇の息子で、第61代朱雀天皇の同母弟です。村上天皇の外叔父である藤原忠平が朱雀天皇のときに続いて関白を務めましたが、949年に忠平が死去すると、以降は摂関を置きませんでした。そのため、醍醐天皇と村上天皇の時代には摂関がいなかったことから、天皇親政の理想的な時代だったと後世から見られるようになり、その治世は父・醍醐天皇と合わせて「延喜・天暦の治」と言われるようになりました。
ちなみに、後の世で、鎌倉幕府を倒して天皇親政を目指した「後醍醐天皇」はまさに醍醐天皇の後継者と自任しており、後醍醐天皇の跡をついだ息子は「後村上天皇」と名乗るのでした。