日本共産党は戦前では長らく非合法政党で、検挙された共産党員は治安維持法などによって政治犯として投獄されていましたが、戦後にGHQの指令によって1945年10月4日に約200名の共産党員が出獄し、再建しました。戦後最初の1946年の総選挙では5議席を獲得します。その後も1947年の二・一ゼネストの断念などがあったものの党勢を伸ばしていきますが、1949年の総選挙では35議席を得るに至ります。しかし、冷戦構造が深まり共産主義国家との対立が鮮明化すると、GHQによって日本共産党の国会議員など24人の公職追放・政治活動の禁止(レッドパージ)の指令が出され、うち9人の共産党幹部には逮捕状も出されました。1952年には破壊活動防止法が制定され、日本共産党が監視対象となります。その後も日本政治と国際政治の動きに影響を受けながらも約26万人を抱える西側諸国で最大規模の共産党となって、現在も存続しています。