北条時宗(ほうじょうときむね)は、鎌倉幕府の第8代執権。第5代執権の父・時頼の嫡男として生まれました。父・時頼の出家時、死亡時にはまだ幼かったため、執権職は北条本家である得宗家以外の北条一門が就任していましたが、1268年に元の国書を持って高麗の使節が大宰府に来訪する情勢下に、数え18歳で時宗は執権に就任し、元寇への対処をすることとなりました。その過労が祟ったのか、弘安の役が終わって3年後に死去しました。
明治時代になって、元寇を跳ね除けた功績が認められて従一位を贈られました(生前は正五位下)。