ラジレキ

要点から背景まで、流れでおさえる日本史の全体像

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  • 日本の夜明け
  • 大和王権と古墳文化
  • 古代国家の成立
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  • 明治維新と近代国家の形成
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保安条例

保安条例(ほあんじょうれい)は、1887年12月25日に制定、発布され、即日施行されたも自由民権運動を弾圧するための法です。集会条例同様、秘密の集会・結社を禁じました。また、内乱の陰謀・教唆、治安の妨害をする恐れがあるとされた自由民権派の人物が、同条例第4条の規定に従って皇居から3里(約11.8km)以外に退去させられ、3年以内の間その範囲への出入りや居住を禁止されました。これにより退去を命じられた者は、施行3日間で総計570人と言われています。この条例により東京を退去させられた主な人物には、尾崎行雄、星亨、中江兆民片岡健吉などがいます。

1898年6月25日、保安条例廃止法律によって廃止されましたが、同法の機能は集会及政社法(明治26年4月14日法律第14号)に、労働運動の規制という新たな機能を付加した上で、2年後の1900年3月10日に制定された治安警察法によって発展的に引き継がれました。

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