讒謗律(ざんぼうりつ)は、明治初期の1875年に制定された名誉毀損に対する処罰を定めた法令で、現在の刑法の名誉毀損罪の嚆矢といえるものです。板垣退助らによって制定されました。讒謗律が公布された当時は自由民権運動が活発な時期であり、この8日前に公布された新聞紙条例とあわせて、新聞、諷刺画等に当時の為政者らを批判することを防ぐために公布されたという見方が多数を占めています。当時参議だった板垣退助は、讒謗律の制定に肯定的で、自己の行っている自由民権運動に関して不利となりかねない法案でしたが「誹謗中傷合戦のような低俗な争いではなく、正々堂々と行うべき」という決意を示しました。このことから、板垣退助が政権に就いても己に有利となる法案を通すような、政権を私物化するような人物ではなかった実例として評価されています。一方で「板垣は政府に取り込まれたのだ」と批判を受けることにもなりました。
ざっくり用語解説
讒謗律
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