ラジレキ

要点から背景まで、流れでおさえる日本史の全体像

日本史の学び直し.com

  • 日本の夜明け
  • 大和王権と古墳文化
  • 古代国家の成立
  • 権力闘争と貴族の時代
  • 武士階級の台頭
  • 武家社会の動揺
  • 動乱の戦国時代
  • 幕藩体制の始まり
  • 発展する経済・文化
  • 揺らぎ始める幕藩体制
  • 明治維新と近代国家の形成
  • 脱亜入欧、日清・日露戦争
  • 第一次世界大戦
  • 第二次世界大戦
ラジレキ

レザノフ

レザノフは、ロシア帝国の外交官で、1804年(文化元年)9月に長崎の出島に来航しました。「ラクスマンに交渉したいなら長崎に来いって言われたから長崎まで来てやったぞ!」というわけです。しかし、その際の日本側責任者だった松平定信はとうの昔に老中職から失脚し、当時の幕閣たちは、ロシアとの通商は「祖法(昔からのやり方)に反する」と拒絶すべきと決めました。しかも、その際にレザノフに対して、「無礼な応接をすればロシアは怒って二度と来なくなるだろう。もしもロシアがそれを理由に攻めてきたとしても日本の武士なら負けはせん」と考えて、レザノフたちを半年間、留めました。半年間の待ちぼうけの後に、「ごめーん。オランダ・清・朝鮮・琉球としか日本は付き合わないんだ」として、レザノフは装備も食料も不十分のまま通商の拒絶を通告されてしまったのです。あわれレザノフは1805年4月に長崎を去りました。

関連する学び直しノート