宮沢喜一(みやざわ きいち)は、大蔵官僚出身の政治家です。1991年から1993年まで総理大臣を務め、PKO協力法を成立させ、自衛隊のカンボジア派遣を実施しました。1993年に政治改革関連法案をめぐって、同じ自民党内の小沢一郎・羽田孜らが反発し、1993年に内閣不信任案が出されると彼らは野党とともに賛成にまわり可決されました。これを受けて、宮沢は総選挙に打ってでますが、小沢・羽田に同調した大量の離党者が出たため、総選挙で第一党を守りますが過半数を制することができませんでした。日本新党を中心とした野党勢力が結集して細川内閣が誕生。宮沢は自民党長期支配38年、及び55年体制の最後の首相となりました。ちなみに宮沢は第15代自民党総裁だったために、同じく15代目で政権を明け渡した徳川慶喜になぞらえ「自民党の徳川慶喜」といわれたようです。
ざっくり用語解説
宮沢喜一
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