もともとアメリカは日露戦争での講和条約を仲介しました。その意図は、日本・ロシアのいずれかが決定的な勝利を得ると中国権益、特に満州権益を日本またはロシアに握られてしまい、アメリカが追い出されることを危惧したからです。しかし、日露戦争後に日本は南満州鉄道の敷設権などを手に入れて南満州の権益を固めていきます。アメリカは「中国の門戸開放の遵守」を求めて日本に抗議してきましたが、日本は逆にロシアと日露協約を結んで、ロシアが北満州を勢力圏に置くことを認めてアメリカの干渉に対して跳ね除けようと協力し合う関係になりました。こういった日米関係の中、20世紀に入ってアメリカ西海岸に激増した日本人移民に対する排斥運動が激化しました。