安達泰盛(あだち やすもり)は、鎌倉時代中期の武将。鎌倉幕府の有力御家人。安達家は、流人時代から源頼朝の側近として仕えた家系で、北条時宗の正妻の兄です。評定衆や御恩奉行(誰にどう恩賞を渡すか決める担当役員み)など幕府の重鎮として重職を担いました。元寇による御家人の疲弊、分割相続による御家人の零細化、得宗専制政治の強大化といった、鎌倉幕府の変質期においてその立て直しを図りました。しかし、内管領・平頼綱との対立によって、1285年に一族もろとも滅ぼされてしまいました。
ざっくり用語解説
安達泰盛
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