内村鑑三(うちむら かんぞう)は、明治から昭和初期にかけての教育者、キリスト教思想家です。『代表的日本人』の著者。
明治23年(1890年)から、第一高等中学校(現・東京大学教養学部)の嘱託教員となりましたが、明治24年(1891年)1月9日、講堂で挙行された教育勅語奉読式において、教員と生徒は順番に教育勅語の前に進み出て、明治天皇の親筆の署名に対して、「奉拝」することが求められました。内村は舎監という教頭に次ぐ地位のため、「奉拝」は三番目でしたが、最敬礼をせずに降壇します。すると、このことを同僚・生徒などが非難し、社会問題化してしまいます。敬礼を行なわなかったのではなく、最敬礼をしなかっただけなのですが、それが「不敬」だとされました。マスコミがこの事件を大きく取り上げ、「内村鑑三の不敬事件」として全国に喧伝。結果、内村鑑三は辞職しました。コンプライアンスに厳しい現代でもビックリな厳しさですね。
その後、ジャーナリストとして「足尾銅山鉱毒事件」を取り上げたり、日露戦争開戦前には「非戦論」を主張したりしました。