足利 義尚(あしかが よしひさ)は、室町幕府の第9代征夷大将軍で、応仁の乱中の文明5年(1473年)に就任し、1489年の病没まで将軍位にありました。応仁の乱では、叔父の足利義視と将軍職をめぐる対立候補として擁立され、乱後は衰退した幕府権力を回復すべく、積極的な幕政改革を行ないましたが、六角氏征伐に赴いた際、近江国の陣中にて病死してしまいました。
足利義政と長期化する応仁の乱足利義満の死後、足利義持は父である足利義満に反発した政策をとりますが、大名の統率が取れずに土一揆も勃発するなど、治世が乱れ始めます。 足利義持の政治と大名たちの台頭 くじ引き将軍足利義教の恐怖政治と終焉 家督相続が複雑に絡み長期化する応仁の乱 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。 ## 波乱を呼んだ「相続争い」と土一揆の勃発 室町幕府第3代将軍「足利義満」は、南北朝の合一を果たし、長く続いた南北朝時代を終わらせました。 義満の死後、後継者の地位をめぐる争いや、社会不安の拡大により、民衆による一揆・蜂起が頻発し、世の中は混乱へと向かっていきます。 07.動乱の戦国時代 #19