法隆寺金堂壁画(ほうりゅうじこんどうへきが)は、法隆寺の金堂の壁面に描かれていた仏教壁画です。制作年代は7世紀後半~8世紀初めと推定され、白鳳文化の代表作品の1つ。インドのアジャンター石窟群壁画、中国の敦煌莫高窟壁画などとともに、アジアの古代仏教絵画を代表する作品の一つでした。第二次世界大戦の戦火も逃れましたが、1949年1月26日の火災で焼損。焼け残った壁画の現物は法隆寺境内の収蔵庫で保管されています。火災前に模写が制作されていたため、1967年に壁画再現事業が発願され、翌年完成しました。この火災事件をきっかけに文化財保護の体制整備を求める世論が高まり、1950年に文化財保護法が制定されました。また、1月26日は「文化財防火デー」とされています。
ざっくり用語解説
法隆寺金堂壁画
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