飛鳥時代の日本の将軍。中大兄皇子とかが活躍していた時代の将軍で、658年から3年間をかけて日本海側を北へと航海して東北地方の蝦夷を服属させ、東北以北にて粛慎(みしはせ、あしはせ。朝廷に従わなかった異民族)と交戦して成果を挙げるなど活躍しました。
662年8月になると、中大兄皇子(後の天智天皇)の命により、新羅征討軍の後将軍として百済救援のために朝鮮半島に向かい、武器や食糧を輸送しました。しかし、翌663年の白村江の戦いにて、唐・新羅連合軍に敗北。日本へ帰国後は、唐や新羅の来襲に備えて、九州地方の防衛責任者に任じられたものと想定されています。